はんかた

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Web小説

Osmanthus

 『…イイ匂いがするな。』
 月明かりのした、彼はそう呟いた。


 久方ぶりの休日だったというのに、海馬は急に社に呼び出された。…機能までは何の問題もなく、後は商品になるのを待つばかりだった製品に、一部欠陥が発見されたとの報告を受けたからだった。結局、欠陥と診断された個所は製造の過程の問題だったので、至急変更の指示を業者に出し事なきを得た。これが、最終段階で売り物にならなくなったなどという報告を受けていたら、開発部は全員減俸処分になっていたことだろう。それぐらいならまだ可愛いかもしれない。責任者は間違いなくクビだろう。
 折角の休日が台無しになって海馬の機嫌はすこぶる悪かった。何時もは会社人間の海馬だが、今日だけは違う…。今日は海馬にとって最終戦事項にあたるものだった。
 何時も以上に早足で、自室に戻る。
 日は随分傾き、夕暮れ時を迎えていた。こんな時間では、今日予定していたことは全てキャンセルである。
 歩きながら、海馬は珍しくも大きな溜息を吐いた。
 今日を大変楽しみにしていた奴の顔が目に浮かぶ。空いた予定は今日しかなく、明日からまた当分休暇はない。何時も慌しく、少しの間しか一緒にいられない相手。たまにはゆっくり一緒にいようと、忙しい仕事を調整し何とか作った休日だった。
 出かけに見た寂しそうな顔が、海馬の脳裏に過る。けして文句を言ったり、駄々を捏ねたりするような人物ではなく、僅かに笑って送り出してくれたが、あんな顔をするくらいなら文句の一つも言ってくれた方が良かった。仕事中はずっと気になり、早く終われとばかりに怒りをぶつけても作業は進まず、イライラした気持ちが海馬を占めていた。お陰で今日仕事をしていたものたちは、要らぬ怒りを多大に買ったことだろう。
 海馬は自室の扉を勢いよく開け、中で待ちくたびれていただろう人物の名前を呼ぶ。
 「『遊戯』ッ!」
 しかし部屋の中はもの家の空で、しん…と静まり返っていた。
 帰ったのかと思い、海馬は舌打ちをする。懐から携帯電話を取り出し、相手の番号を押そうとした。何気なく視線を向けると、ソファに見慣れないジャケットが掛かっているのが目に映る。すぐさま海馬は携帯の番号を消した。大股に歩いてソファまでの距離を一気に縮める。ジャケットを広げるとかなり小さい。…モクバよりは大きいので、恐らくは『遊戯』のものに間違いないだろう。
 「…アイツめ……。また、あの場所だな…。」
 ジャケットをソファに投げると、海馬は再び部屋を後にした。

 ひらひらと花弁が舞い落ちる。
 ……花弁と言うよりは花そのものだが。
 落ちていく様はまるで金色の雪が降っているようだ。
 海馬は木の根元に目当ての人物を見つけ、溜息を吐く。
 先週来たとき、『遊戯』はこの場所を甚く気に入っていた。お陰でこの間は、殆ど会話らしい会話をすることが出来なかった。…まぁ、海馬にとって悪いことばかりでななかったが。
 海馬はふと先週の出来事を思い出す。その時は、今日のように日は出ていなかった。


 奇麗な月の晩。
 窓辺に立つ『遊戯』がぽつりと洩らした。
 『…何だか、イイ香りがするな…。』
 『遊戯』は原因を探ろうtじょ辺りを見渡す。しかし、どれもその香りに該当するものが見当たらない。
 彼方此方探し回る『遊戯』に、パソコンの画面に向かっていた海馬が顔を上げる。
 『…オマエはうろちょろと、一体何をしている!?』
 『あぁ、海馬。…オマエ、この香りの正体が分かるか?』
 何時も集中したら傍に誰がいようと仕事に没頭する海馬が、珍しく声をかけるのに、『遊戯』は先ほどから探している疑問を投げかけた。
 『遊戯』の言葉に、さも今気付いたような海馬は、改めて嗅ぐ匂いに合点がいく。海馬は再び画面に視線を戻すとそっけなく答えた。
 『この香りは金木犀だ。』
 『きんもくせい?』
 聞いたことのない言葉に、『遊戯』は再度繰り返す。
 『あぁ…。秋に咲く花の一種だ。今頃から咲き始めるからな。…邸に何本かまとまって植えてあった筈だから、香りがここまで来たんだろう。』
 『それ、何処にあるんだ!? オレ、見に行きたいぜ!』
 『…何も、今直ぐ見に行く必要はないと思うが…。』
 瞳を輝かせる『遊戯』に、海馬は呆れたような溜息を吐く。その言葉に、『遊戯』は幾分拗ねたような声を出した。
 『別に、オレの勝手だろう!…何もオマエに案内しろとは言わない。場所さえ教えてもらえれば、オレ一人で行くぜ?』
 『…辿り着くより、迷子になる確率の方が高いな。』
 揶揄するような海馬の言葉に、『遊戯』は黙り込む。言い返せないのは、過去何回か海馬邸の庭で迷い、救出されるという経験があるからだった。
 むぅと押し黙る『遊戯』の姿に、海馬はパソコンの電源を落とした。立ち上がり、かけていた上着を『遊戯』に投げる。
 不思議そうに海馬を見つめる『遊戯』に、海馬は口元に笑みを浮かべ言い放つ。
 『…外は冷える。それを着ていけ……。』


 『遊戯』は目的地に着くなり、思いっきり息を吸い込む。
夜になり、急激に冷えた外気が寒かったが、それすらも気にならない様子で香りを楽しんだ。
小さいオレンジの塊が、木々に点在している。まだ満開には間があるので、若干緑が多かった。
 『近くに来ると凄い香りだな。……いい匂いだ。』
 『遊戯』の言葉に、海馬は近い枝から花をもぎ取って『遊戯』に渡す。小さい花の大群が、掌に広がった。
 『……まだ、満開には時間がかかる。この辺り一面がオレンジ色一色になれば、更に香りが強くなるだろう。一説に寄れば、この花の香りが約8キロ先まで届いたと聞くが、本当かどうかは分からん……。』
 海馬が言うのに、『遊戯』は大きく頷く。五部咲き程度でこの香りなのだ。全て花開けば、ここら辺りは息もつけない程匂うに違いない。
 楽しそうに金木犀を眺めている『遊戯』に、海馬は口元を和らげる。飽くことなく見続ける横顔は、月の光りを浴びてなかなか幻想的に美しかった。
 ……その後『遊戯』は、海馬が無理矢理部屋に連れ戻すまで、香りと花を覚え込むように堪能した。
 その時のことを思い出して、海馬は苦笑する。
 何時までも離れようとしない『遊戯』を、海馬は引きずるようにして後にした。『遊戯』は先に帰るよう海馬に告げたが、この寒空に一人置いていける筈もなく、半強制的に『遊戯』を部屋に連れ帰った。ジャケットを羽織ったぐらいでは、寒さは完全に凌げない。抱き上げた身体は大分冷たかった。
今は日がまだ落ちていないので、大分暖かい。
そのせいか探し人は眠りの淵にいた。
オレンジ色の絨毯が敷き詰められたような場所で、『遊戯』は実に安らかに眠りを貪っている。ピークを過ぎた金木犀は大分香りが弱くなっていたが、それでもまだ暫くは楽しめるだろう。
 海馬は起こさぬように、そっと近付く。『遊戯』の身体から、金木犀の香りがした。海馬が出かけてからずっとこの場所にいたのだろうか……。長時間いたのは確かなようで、匂いが染み付いて当分の間はとれそうもない。
 海馬は優しい手付きで、髪に絡んだ花弁を取り除いた。起きている時はきつい不敵な眼差しも、目を閉じると途端に幼さが増す。
 「…ん…。」
 『遊戯』の口から吐息が洩れる。しかし覚醒には至らないようで、再び深い寝息が海馬の耳に届く。
 海馬は着ていたコートを脱ぐと、『遊戯』にかけてやった。目が覚めている時にはけして言わない言葉が、海馬の口から零れ落ちる。
 「…今日は、すまなかったな。『遊戯』…。」
 海馬は『遊戯』の隣りに座り、日が暮れるまで寝顔を見続けていた。

*END*

「Osmanthus」は03年10月から約1年間、無料配布としてイベント毎に少数の方につけさせていただいていましたが、1年経つからいいだろうということでWebのSSに昇格(?)となりました。翠っちゃんのパソコンのAドライブが不機嫌を起こしてFDからデータを取り出せないのでsallowが打ち直しました。現時点での打ち間違いはsallowなのでありましたらこっそり教えてください。
金木犀、いい香りですよね。間違っても「トイレの芳香剤」とは思っても口にはしないようにお願いします。